目次
紫式部と清少納言の【共通点】
1.二人とも優れた文学作品の作者
紫式部と清少納言はともに現在まで読み継がれている文学作品の作者です。
紫式部は源氏物語を清少納言は枕草子を書きました。
紫式部や清少納言が生きた時代は西暦1000年前後。
この時代は女性によって文学作品が多数書かれました。
10世紀から11世紀の段階で女流文学が世に出た歴史は日本の誇りと言っていいと思います。
2.二人とも宮廷で働いていた
紫式部と清少納言はともに宮廷で働いていました。
宮廷で働くことを「宮仕え」といいます。
具体的に何をしていたかというと、天皇のお后様に仕えていて 身の回りの世話や話し相手 教育係 客人の取次などを行っていました。
このような高貴な人物に仕える女性を女房といいます。つまり 紫式部と清少納言も女房として宮廷で働いてました。
3.中級~下級貴族の出身
この時代の女房には中級から下級貴族の女性がたくさんいました。
紫式部と清少納言もその階級の出身です。
その結果 宮廷には教養のある才女が何人も集まっており高い文化水準が築かれていきました。
その中から枕草子や源氏物語が誕生し ひとつの文化に大きな影響を与えたのです。
4.二人とも次女
紫式部と清少納言とも次女として生まれました。
紫式部は3男3女の次女でした。
清少納言は3男2女の次女で末っ子。
父が59歳ごろの子と推定され 長男とは親子ほども年齢が離れていたとされています。
5.二人とも本名が不明
紫式部と清少納言の本名については今も謎に包まれています。
紫式部が藤原氏の娘で 清少納言が清原氏の娘であるのは間違いないのですが、彼女たちの名前はというと実はよくわかっていません。
一説には 清少納言の名前はなぎこ 紫式部の名前はかおりことも言われていますが確たる資料があるわけではありません。
6.二人とも正確な生没年が不明
紫式部と清少納言の生没年ははっきりわかっていません。
同時代の人物であることは間違いないのですが年齢的には清少納言の方が上だったとされています。
紫式部の生没年は970年から978年あたり 没年は1014年から1031年とかなり幅があってよくわかっていません。
清少納言の生年は 966年ごろ 没年は1025年ごろが有力とされています。
7.二人とも藤原家に仕えていた
紫式部と清少納言が仕えたのは天皇のお后様。
紫式部は藤原彰子に清少納言は藤原定子に仕えました。定子と彰子はいとこの関係でともに藤原家の女性です。
8.父親とともに地方で暮らしていた時期がある
紫式部と清少納言は平安京にいた印象が強いですが数年だけ地方で暮らしていた時期がありました。
紫式部は27歳から29歳の頃に福井県で過ごし 清少納言は9歳から13歳の頃に山口県で過ごしていたと言われています。
なぜ地方で暮らしていたかというと、父親がその地域を治める立場だったからです。
現代でいうところの県知事みたいなものです。
9.百人一首に選ばれている
紫式部と清少納言は歌人として有名で、両者とも和歌が百人一首に選ばれています。
紫式部と清少納言の【相違点】
1.作品ジャンルの違い
二人が残した作品のジャンルは大きく異なっています。
つまり文学作品の違いです。紫式部の源氏物語は物語であり世界最古の女流長編小説とも言われています。
主人公の光源氏を中心にした恋物語で400字詰めの原稿用紙に1400枚分にも及ぶ超大作です。
今ではたくさんの言語に翻訳され世界中で愛されています。
清少納言の枕草子のジャンルは随筆とされる場合が多いです。
清少納言が感じた喜びや怒り 興味を惹かれたもの 素敵な情景などが自由に書かれいていいます。
源氏物語 枕草子ともに現代人も思わずうなずいてしまうようなあるあるや共感が満載で1000年前に書かれたとは思えない楽しい作品になっています。
2.性格の違い
紫式部と清少納言は性格が真逆なことでも知られています。
紫式部の性格を要約すると人付き合いが苦手 目立ちたくない ネガティブ。清少納言の性格を要約すると明るい 社交的 目立ちたがり。
今風に言うと 清少納言は陽キャ 紫式部は陰キャといった感じでしょうか。
また二人の性格の違いには父親の教育方針の違いにも影響していたと考えられます。
紫式部の父はかなりの堅物で女性らしく振舞うことを重視したかなり厳格な教育方針だったようで紫式部の控えめな性格に大きな影響を与えたと思われます。
一方 清少納言の父は一流歌人で三枚目の一面を持った人物だったようです。
枕草子から伝わってくる清少納言の性格は父親譲りな面もあるのではないかと考えられます。
紫式部と清少納言の性格は、人によって好みが大きく分かれる部分です。
3.結婚生活の違い
紫式部と清少納言の結婚生活は 紫式部の夫は藤原宣孝という人物で 清少納言の夫は橘則光という人物です。
紫式部は女の子を授かり清少納言は男の子を授かっています。
それに対し、、清少納言は約10年の結婚生活の後に性格の不一致を理由に離婚、紫式部は約2年の結婚生活で夫に先立たれています。
離婚と死別で夫婦関係は解消されてしまったのですが、未亡人になったことが宮廷出仕の1つの動機とも考えられています。なお 清少納言は後に再婚しています。
共通点と相違点のまとめ
1 二人とも優れた文学作品の作者
2 二人とも宮廷で働いていた
3 中級~下級貴族の出身
4 二人とも次女
5.二人とも本名が不明
6.二人とも正確な生没年が不明
7.ともに藤原家に仕えていた
8.父親とともに地方で暮らしていた時期がある
9.百人一首に選ばれている
その一方で違う点もありました。
1.作品ジャンルの違
2.性格の違い
3.結婚生活の違い
日本が誇る2人の女流作家紫式部と清少納言を様々な角度から比較してみると、非常に面白い発見がありますね。