紫式部の死因はなに?亡くなった年齢は?|全学年/社会

勉強コラム

2024年の大河ドラマの主人公として、現在世間の注目を集めている『紫式部』
源氏物語を記した女性として、皆さんも一度は学校で習いますよね。
「どんな女性だったのか」「どんな人間関係があったのか」など、いろいろなことが注目されているようですが、歴史上の人物である以上、世の人の関心を引くのが「どのように亡くなったのか」です。
そこでこの記事では、紫式部の死因や亡くなった際の年齢などについて追っていきたいと思います。

目次

亡くなった年齢は?


まず、紫式部は何歳まで生きたかについて触れていきます。
…とは言っても、紫式部が亡くなった際の年齢は、正確なものは分かっていません。
そもそも紫式部という人物は非常に高い知名度があるものの、実は正確な記録があまり残っていないのです。
そのため生まれた年や亡くなった年についても、説によってかなりバラつきがあります。

まず生まれた年については、
・970年(天禄元年)生まれ説
・972年(天禄3年)生まれ説
・973年(天延元年)生まれ説
・974年(天延2年)生まれ説
・975年(天延3年)生まれ説
・978年(天元元年)生まれ説
があり、生まれた年だけでも説によって8年の差があります。

また亡くなった年についても
・1014年(長和3年)没説
・1016年(長和5年)没説
・1017年(寛仁元年)没説
・1019年(寛仁3年)没説
・1021年(治安元年)没説
・1025年(万寿2年)没説
・1031年(長元4年)没説
があり、亡くなった年に至っては17年もの差があります。

ただその中でも有力な説を照らし合わせていくと、紫式部は大体40歳前後で亡くなったというのが一般的な見方のようです。
かなり早くに亡くなったと思われるかもしれませんが、当時の貴族階級の女性の平均寿命は40歳程度だったようですので、そこまで早いというわけではありません。
ただ、しばしば紫式部と比較される清少納言は60歳前後で亡くなったと言われていますので、それと比べると早くに亡くなってしまっとも言えます。

死因ははっきりしない


まず最初にお伝えしなければいけないのが、紫式部の正確な死因ははっきりしないということです。
それは先述のように、紫式部については当時の記録があまり残っていないためです。
ただそれゆえに、紫式部の死因については様々な説が存在します。
あくまでも憶測の域を出ませんが、それをご理解いただいた上で、いくつか死因についての説をご紹介します。

説①:病死

紫式部は病気によって亡くなったという説があります。
これは藤原道綱母による『蜻蛉日記』の中に、「寛仁3年(1019年)の正月に彰子の家を訪ねたとき、紫式部が病気で寝込んでいた」という記述があるからです。
この病気が悪化して死に至ったという考え方ですね。
また、紫式部が生きた時代は病気が蔓延していたということもあり、「病死が有力」と考える学者もいるようです。

説②:暗殺

紫式部は暗殺されたという説も存在します。これは紫式部の作品「源氏物語」の内容と関係しています。
源氏物語は、平安時代の宮廷・貴族社会の内情を暴露するような作品であるとも捉えられ、その中で藤原道長やその一族の様々な悪事や、不倫といった暴露したようなものだとも考えられています。
そのため、紫式部は藤原道長やその一族に恨まれ、その結果として暗殺されてしまったという説です。
もちろんこの説もあくまで推測であり、確たる証拠はありません。

説③:自殺

紫式部は自ら命を絶ったという説もあるようです。これは生前、紫式部が詠んだ歌と関係しています。
紫式部の歌の中には、彼女の苦悩を表したようなものもあります。
それらの歌の通り、実際に彼女は、自らの存在理由や社会的地位に悩んでいたことされています。『源氏物語』の作者として名声を得た紫式部ですが、私生活においては宮廷から孤立や、恋愛の失敗などでかなり思い悩んでいたと考えられています。
それゆえ、紫式部は自らの人生を諦めてしまい、自殺に至った、と考える説です。
もちろん、この説についても確たる証拠はありません。

先述のように、紫式部は当時の貴族階級の女性の平均寿命まで生きたとされる説が濃厚です。
そのため筆者としては、暗殺や自殺などではなく、紫式部は天寿を全うしたと信じたいところです。

おまけ:紫式部は本名もわかっていない

ここまで見てきたように、何かと謎だらけの紫式部ですが、実は本名すら分かっていないということをご存じでしょうか?
平安時代の貴族階級の女性は実名を公表しない場合が多く、紫式部というのも通称でした。
ちなみに紫式部のライバルとして認識されることも多い「清少納言」も本名ではなく、通称です。

生没年や死因だけでなく、本名まで分かっていない紫式部。ここまで謎が多い女性だからこそ、それも彼女の魅力となり、現在も多くの人の心を惹きつけるのかもしれませんね。