徳川家康の主な功績は何?|全学年/社会科

勉強コラム

2023年、NHK大河ドラマで話題の「徳川家康」。
小学校や中学校の歴史で学習する有名な武将の1人です。
ここで止まってしまうと歴史は非常につまらないものになってしまうので、さらに徳川家康のエピソードや功績を見ていきましょう。
この記事では小学校や中学校で学習するような内容の範囲で徳川家康について復習をしながらそのエピソードや功績を見ていきます。

目次

秀吉の死後、全国統一の座を狙う


歴史の授業で初めに徳川家康の名前が出たのは江戸時代になる前の安土・桃山時代末期です。
1590年に豊臣秀吉が全国統一を成し遂げる中、徳川家康は豊臣秀吉の家臣として出身地の東海を離れ江戸を中心とした関東を治めていました。
ところが、豊臣秀吉がアジアへ進出しようと朝鮮へ出兵後、秀吉は病死してしまいました。
その時、秀吉の後継者は豊臣秀頼(6歳)でしたが、まだ幼かったため、その座を巡って後継者争いが始まります。
そこで、ここぞとばかりに出てきたのが徳川家康です。
実は秀吉が病死するまでの間、家康は全国統一の座を狙ってずっと待っていたのです。
これが「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」と言われている所以です。

関ケ原の戦いへ


それから家康は次々と領地を治めていって、東軍を組織し覇権を争う戦に向け準備を万全にしていきます。
対する相手は西軍率いる石田三成らです。
そして、1600年に関ヶ原の戦いが始まり、全国の武将たちが東軍、西軍に分かれて戦うことになりました。
結果は東軍が西軍を破りました。
両軍の数の差はそんなに無く長引くと言われた関ヶ原の戦いに家康はなんと半日で圧勝したと言われています。
なぜ家康率いる東軍が圧勝できたかというと、家康はきたる決戦の時に向け、西軍の武将に裏切れば褒美をやると手紙を書いたりあらかじめ手を打っていて、多数の裏切りがあったからと言われています。
石田三成の不人気さが故に西軍の武将たちが動かなかったとも言われています。

江戸幕府創立


その後、1603年に家康は征夷大将軍となり、江戸幕府が開かれました。
江戸時代の幕開けです。
江戸時代は約260年間続き、各時代の中では最長です。
これには家康が築いた江戸時代の基盤があります。

武家諸法度・参勤交代

まずは、家康から各大名(武将)へ領地が与えられます。先ほどの裏切りの報酬です。その領地を藩といい、その藩の中で大名に自治を行わせました。
こうして、大名を通じて各藩を治めさせる幕藩体制をとっていきました。
これだけでは大名が藩で悪さをしかねないため、藩を支配させる代わりに1615年にとても厳しいルールを課します。
これが武家諸法度です。これには、大名の城の修理や結婚を許可制にすることなどが盛り込まれました。

3代目の徳川家光が将軍の時には江戸と領地を1年おきに往復しながら住まわせる参勤交代というルールもつけ加えられ、大名にとってさらに厳しいものになっていきました。
これは往復にかかる生活費を大名に負担させていたため、ほどよく財力を減らし大名による反乱を防ぐためと言われています。

貿易を許可制に

家康は貿易も許可制にしました。大名たちに勝手に貿易で資金を得られて反乱を防ぐためです。
許可された貿易船は朱印状という許可証をもって貿易をする必要があり、朱印船貿易と呼ばれています。特に東南アジアやオランダ、イギリス、ポルトガルなどと交易がありました。
1612年にはキリスト教徒の団結を恐れ、キリスト教を禁止する禁教令を出したりしています。
さらに、身分制度が新しく定められ、人々は武士、百姓(農民)、町人などに分けられました。
身分は勝手に変えられず、住む場所が決められ、武士は城下町、百姓は農村に住むことになります。
厳しいのは大名に限らず、農民に対しても年貢を納めさせるために農民同士で連帯責任を取らせる五人組という制度を作って税収を安定させたりしました。

大坂冬の陣、夏の陣を経て全国統一

しかし、こうした基盤を作っていく中、関ヶ原の戦い後は豊臣秀吉が死去した後も豊臣家が一定の影響力を持っていました。
豊臣家は大阪城を拠点としていて、石田三成に次いで家康にとっては邪魔な存在になっていました。
そして、1614、1615年に大坂冬の陣、夏の陣と2回の戦いを経て決着がつき、徳川軍が勝利しました。
こうして、豊臣秀吉に次いで再び全国統一をすることができました。
家康にとって長年待ち続けた夢が叶った時です。

厳しいルールづくりをしてきて、最終的には敵対勢力もいなくなり、基盤がしっかりできた状態で江戸時代が進んでいきます。

辞世の句

以上の偉大な功績を残して、1616年に死去。
その時は75歳で当時では長寿でした。

最後に、武将には死ぬ直後に詠まれる世辞の句というのがあります。
この後約260年続く江戸時代の礎を築いた徳川家康はこう詠みました。
「先に行く 後に残るも同じこと 連れて行けぬを わかれぞと思う」
そのまま意味を詠み取ると、「私は先に死ぬことになるが、お前たちもいずれは死ぬことになる。道連れはできない。お別れだ。」と詠み取れます。
しかし、実際には400年も前に詠まれた句。
当時では先行く人の後を追うように自害するものもいたようで、その後を追おうとするものに向けた句と考えると意味が違って見えますね。

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こちらの記事の監修者

 浅井保(あさい たもつ)
・北海道大学文学部卒
・家庭教師のアルファ 講師部長
・山手中央高等学院 学院長

 
2008年に『家庭教師のアルファ』のプロ家庭教師として活動開始。
現在、株式会社アルファコーポレーション講師部部長、および同社の運営する通信制サポート校・山手中央高等学院の学院長を兼務しながら講師として指導にも従事。