徳川家康と江戸の街づくりの礎|全学年/社会科

勉強コラム

徳川家康といえば江戸幕府をひらいたことで有名ですが、家康やその跡継ぎがどのような街づくりをしたのか、気になる人はいないでしょうか?
この記事では、江戸幕府において代々徳川家がどのような街づくりを行ったのか。その軌跡を追っていこうと思います。

目次

そもそも江戸は住みにくい街だった?


筆者が住んでいる東京都立川市には、武蔵野台地の東西に玉川上水が流れており、季節ごとの自然美に溢れた様々な姿を見せてくれます。

この玉川上水は、豊臣秀吉が1590年に全国統一の総仕上げに、関東の戦国大名「北条氏政」らを屈伏させた所謂「小田原征伐」の後で、領地を東海から関東に変えさせられた「徳川家康」と、後の歴代将軍が、国作りの基礎として計画した一大事業なのです。

当時は武蔵国の辺境だった江戸は、井戸を掘れば海水混じりの水が湧く、お世辞にも住みやすい土地とは言い難い地勢でした。
家康は、住み慣れた故郷(今の愛知県岡崎市)を追われはしたものの、豊臣政権の関東支配を磐石のものとするという名目で、文禄、慶長の役に参加せず、他の武将が疲弊する中で体力、財力を温存し、関ヶ原で勝利を収める課程は、恐らく来年の今頃の大河ドラマで描写されることでしょう。

多摩川の水を引き込み、生活用水を行き渡らせる

時折しも、三代将軍「徳川家光」が死去した江戸は、四代将軍に就任したばかりの「徳川家綱」、そしてその叔父の大老「保科正之」による江戸の都市計画が進められます。
その主軸となるのが、お江戸八百八町にくまなく生活用水、防火用水を供給する上水の掘削、開通計画でした。  
当初は、今の「井の頭恩賜公園」がある「井の頭池」(東京都三鷹市)から江戸城中に水を引いていましたが、年々都市化が進む江戸市中の需要を満たし切れず、老中「松平信綱」を総奉行に、現場責任者に「庄右衛門、清右衛門兄弟」を任じ、多摩川の水を水路で引き込む工事を進めます。

工事は1653年(承応2年)春に着工し、今の「東京都羽村市」から先の「井の頭池」までの約42kmに渡るものでしたが、海抜の高低差が100m足らずで、開削には大きな苦労が伴いました。
また通水に不向きな、水を吸い込んでしまう地層(所謂『水喰い土』)に阻まれ、ルートの迂回を強いられた結果、幕府からの費用が底を尽き、兄弟は私財を投げ打ってまで工事を続行し、同年11月に工事を完遂させたのです。
いやあ、彼ら兄弟の並外れた使命感、責任感には頭が下がりますね。
こうして翌年1653年(承応3年)、江戸市中に念願の生活用水が行き渡ったのでした。

江戸の水路は画期的だった

以来、天下泰平の江戸時代を通じ、所謂「江戸っ子」の自慢のひとつが、「井戸水で産湯を使う」程の水の便の良さだったと言います。
桃太郎のお話にもあるように、昔から「おばあさんは川に洗濯に」行かなければならないのが当たり前で、水の確保は死活問題でした。
その水を、長屋の目の前の井戸で賄える便利さは想像に難くありません。

18世紀(享保年間、8代将軍徳川吉宗の治世)の江戸の人口は、北京の90万人、ロンドンの86万人、パリの54万人を凌ぎ、100万人に達していたそうです。
これらの大都市でも、水や衛生問題には絶えず悩まされていたと言いますから、この水事業がいかに画期的なものであったか、おわかりでしょうか。
そして吉宗と言えば連想されるのは「享保の改革」の「新田開発」ですね。
玉川上水が開通したことで、水の確保に苦労してきた「武蔵野台地」にも水が引かれるようになり、新田開発にも拍車が掛かり、今に至る「近郊農業」の発展に繋がるのです。

船の運航による水質悪化と、「清潔な水の大切さ」の見直し

幕府から「玉川」姓を名乗ることを許された所謂「玉川兄弟」は、以来代々上水の管理を任じられてきましたが、時は流れ、1867年に15代将軍「徳川慶喜」による「大政奉還」が行われ、上水が幕府の管轄を離れたことで、明治新政府が江戸改め「東京」の水行政を引き継ぐのです。

ところが、新政府は「御一新」の名の下に、幕府の伝統とも言える上水に、水運の便を図るための「船の通行」を許可したのです。

船は確かに大量輸送手段としては最適ですが、船からの廃棄物や糞尿の投棄が横行したことで、上水の水質は悪化し、コレラが東京府下で大流行してしまいます。
玉川上水への船の通行は再び禁止され、「清潔な水の大切さ」が見直され、首都での上水道敷設が進められると共に、沿線に植えられた桜などの景勝地として、大切に保護されることとなります。

歴史は今に繋がる「物語」

私が専ら指導を担当する「東京都西部」、所謂「三多摩地区」では、小学校社会科の教材にも採り上げられる、知られた話題ではありますが、いかがでしたか?

「歴史」とは、今の我々には無関係な、断絶した昔話などではありません。
先人の努力や熱意が、今の私たちの生活に直結する、今に連なる「物語」なのです。
歴史に触れる楽しみを、皆さんにも知ってほしいな、と願います。

おわりに

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こちらの記事の監修者

 浅井保(あさい たもつ)
・北海道大学文学部卒
・家庭教師のアルファ 講師部長
・山手中央高等学院 学院長

 
2008年に『家庭教師のアルファ』のプロ家庭教師として活動開始。
現在、株式会社アルファコーポレーション講師部部長、および同社の運営する通信制サポート校・山手中央高等学院の学院長を兼務しながら講師として指導にも従事。