北条氏が執権として実力をにぎった時代を見ていこう|全学年/社会科

勉強方法

鎌倉時代は源氏に平氏、○○天皇や○○法皇…、そして北条氏と登場人物も多くややこしい!となりますね。
貴族社会の中で勢力を伸ばした武士たちと初めて武士による政権ができた時代を順を追ってみていきましょう。

目次

北条氏について知る前に初めて武士の政権ができた時代を見ていこう

【平氏の台頭】
11世紀末、上皇による院政がはじまり政治の実権は摂関家から院へと移ります。
その院政は、白河上皇→鳥羽上皇→後白河上皇とおよそ100年余り続きます。
そんな中、御所を守る北面の武士の組織づくりや皇族や貴族の争いへの武士の動員などで、武士たちは貴族社会の中での地位を高めていきます。
中でも大きく勢力を伸ばしたのが平清盛です。
清盛は院政に協力し、また官位を得るために私財を投じて上皇に取り入ったりし1167年には太政大臣にまで上りつめました。
また、むすめを天皇にとつがせて天皇家の外戚にもなりました。

【源氏の台頭】
平氏の独裁政治に不満がたまってくると源氏が平氏打倒へと兵をあげます。
1185年壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼし、この間鎌倉を拠点に関東一円を平定したのが源頼朝です。
頼朝は後白河法皇から東国の支配権を認められたり、諸国に守護、荘園や公領には地頭を任命できる権限も得ます。
こうして頼朝は政治体制を整え武士の支配権を拡大していき、征夷大将軍に任命され、
初めての武士による政権鎌倉幕府ができます。
しかしながら、京都の朝廷や貴族・大寺社などの公家の政治経済力はまだまだ強く、幕府と朝廷の二つの政権が並び立っていたのが実際でした。

北条氏が執権として政治を担う時代を見ていこう

さてここからが本題です!北条氏が執権として政治を担う時代を見ていきましょう。難しい言葉も出てきますが、記事の最後にちゃんと用語解説を載せているので、それと合わせてお読みいただければと思います!

三代で途絶えた源氏

頼朝は御家人とご恩と奉公の関係で結ばれ幕府を維持してきましたが、馬から落馬しその傷がもとで亡くなったとされています。
2代将軍には頼朝の長男の頼家が就くが、妻の父である比企能員を寵愛し、重臣を無視した政治を行ったのでその反発を買い、
祖父の北条時政に伊豆修善寺に押し込められ、殺害されます。
3代将軍には頼朝の次男の実朝が就くが、甥の公暁に殺害され、3代続いた源氏将軍は途絶えました。

承久の乱

源氏将軍が途絶えた今こそ幕府を倒すチャンスととらえ、後鳥羽上皇は1221年この時の幕府の執権北条義時の追討を命じます。
京都を警備していた武士たちが上皇側に加勢したので、御家人たちは動揺し始めます。
この時幕府の危機を救ったのが、頼朝の妻であった北条政子です。
政子は御家人たちを集め、今は亡き頼朝の厚い恩情をもとに御家人たちを奮い立たせます。
北条泰時と時房に率いられた幕府軍は圧倒的な力で後鳥羽上皇軍を破ります。
これがいわゆる承久の乱で、結果、後鳥羽上皇は隠岐に流されます。
また、幕府は畿内や西国の荘園や公領まで力を広げ、京都に六波羅探題を設置し朝廷を監視するようになりました。

北条氏による執権政治

3代執権には義時の子泰時が就きます。泰時は御家人からの信頼も厚く、有力な御家人を評定衆に任命したり
貞永式目(御成敗式目)という武士だけに適用される裁判の基準や法律を作ります。
5代執権の時頼は、第5代将軍藤原頼嗣を京都に追放して、新たな将軍として後嵯峨天皇の皇子である宗尊親王を擁立した。これが、親王将軍の始まり。
また、御家人から不満が現れるのを恐れて、引付衆を設置して訴訟や政治の公正や迅速化を図ったり、さらに、庶民に対しても救済政策を採って積極的に庶民を保護している。
その後6代執権の北条長時、7代執権の北条政村と続き、8代執権には時宗が就く。
時宗と言えば元寇である。運もあり元との2度にわたる合戦は勝利となったが、幕府に忠誠を誓い戦った御家人たちは
十分な恩賞が与えらえず、また北条氏による重職の独占への不満も重なり、経済的貧困に苦しむ者も出てきます。
9代執権の北条貞時のときに永仁の徳政令を出し、御家人が質入れした土地は無償で取り戻せるとしたが、根本的な解決とはならなかった。

北条氏の終わり

御家人たちの北条氏への不満が募る中、朝廷の復権のチャンスと後醍醐天皇が立ち上がります。
討幕をかかげた後醍醐天皇は各地の武士に呼びかけ、楠木正成、足利高氏(尊氏)が味方し、鎌倉では新田義貞がついに北条氏を滅ぼすことになり
こうして鎌倉幕府は終わりを迎えます。

用語解説

院政(いんせい)…天皇に代わりその親であり、位を譲っていた上皇が政治を行う仕組み
北面の武士…11世紀末の平安時代、上皇に仕え上皇の警備を行っていた武士たちでその創設者は白河法皇
西面の武士…13世紀初頭の鎌倉時代、上皇に仕え上皇の警備を行っていた武士たちでその創設者は後鳥羽上皇
太政大臣…天皇を頂点とする朝廷の最高地位で左大臣・右大臣が続く
評定衆…鎌倉・室町時代に置かれた役職の一つで、特に鎌倉時代においては行政・司法・立法のすべてをおこなう幕府の最高政務機関

おわりに

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こちらの記事の監修者

 浅井保(あさい たもつ)
・北海道大学文学部卒
・家庭教師のアルファ 講師部長
・山手中央高等学院 学院長

 
2008年に『家庭教師のアルファ』のプロ家庭教師として活動開始。
現在、株式会社アルファコーポレーション講師部部長、および同社の運営する通信制サポート校・山手中央高等学院の学院長を兼務しながら講師として指導にも従事。