紫式部の墓と言い伝え|全学年/国語

勉強コラム

「紫式部」という人物について、皆さん1度は学校の授業などで耳にすると思います。
かの有名な「源氏物語」の作者ですね。
この記事では、そんな紫式部の【お墓にまつわるエピソード】をご紹介していきます。

目次

紫式部のマストな情報から


紫式部と聞くと、社会の歴史の人?国語の文学の人?と迷う人がいるかもですが、社会でも国語でもどっちでも大丈夫です!要は、平安時代の文豪です!!

そして、清少納言とセットで覚えているのではないでしょうか。その通りです。
「清少納言の枕草子」、「紫式部の源氏物語」、ぶっちゃけ人物名と作品さえ覚えておけばテストはなんとかなります!!

平安時代・国風文化の廃止・漢字が仮名文字へ変化・女流文豪・紫式部・源氏物語
この辺の知識で国語や社会の知識問題はカバーできます。

紫式部のスペック


西暦970年~1019年
父は藤原為時
母は藤原為信女
お気づきの通り藤原家です。

1016年に藤原道長が摂政になり、藤原氏が全盛期を迎えたと言われています。
藤原道長が966年~1028年
と言われていますので、同世代です!ちなみに清少納言も同世代です!

紫式部というのはペンネームです。
本名は謎ですが、「藤原香子・ふじわらのかおりこ」という説もあります。
本名を記した決定的な資料が無いそうです。作品は現代でも多く残ってはいますが、作者の情報が不明というのも面白いですね。

「式部」は女官の名称なので、紫が名前で式部が役職です。
現代風にいうと、紫という名前の人が先生になって、「紫先生」みたいなイメージです。
本名が分からない人が教科書の太字の重要語句になっているなんて、歴史って謎が多いですね。

筆者はこの歴史の曖昧さが実は好きです。面白いですよね。
というか、よく千年以上前の書物を解読したと思います。歴史学者が古文書とにらめっこしてなんとか今の古典ができたのかと思うと尊敬します。
これを見た人が歴史のこの曖昧さに興味を持つようなら、大学で歴史を学び、歴史学者になるのも面白いですね。

紫式部の墓について


お墓は京都府にあります。これはいいでしょう。
平安時代と平安京は京都がメインなので違和感はありません。
奈良時代と平城京は奈良というのも対比で一緒に覚えてください。
※平安時代と言えば舞台は京都!年号は794年(ナクヨうぐいす平安京)から、1185年(トビバコ鎌倉幕府)までの間、400年ほどと言われています。平安時代は長い!というのは知っておくといいです。

なぜか隣に小野篁の墓がある


小野篁と言う人物をご存じでしょうか?
中学の歴史では聞かない名前ですが、百人一首にものっている有名な歌人でもあります。優秀な人ですね。

小野篁(おの の たかむら)
802年~853年。紫式部とは生きている時代が違う。

小野小町(世界三大美人)の祖父です!
実は、小野篁にはまるでマンガにでも出てきそうな言い伝えがあったのです。
それは、昼は朝廷に勤め、夜は閻魔大王の手伝いをしていたという設定です。
現世とあの世を行き来していたそうです。今でいうとWワークですね。「ワークライフバランス」というより「ワーク&ワーク」ですね。働きすぎですよね。

地獄に落ちた紫式部を救う!?

一部では、紫式部は地獄に落ちた…ということも言われていたそうです。
その理由は「源氏物語」の内容(光源氏のリア充の描写)が多くの人の心を惑わしたからです。
当時は、「表現の自由」が制限されていたのでしょうか?紫式部が地獄行くなら、他の歴史人物はほとんど地獄に落ちそうな気もしますが…。

雑談ですが、地獄にも種類があり、灼熱地獄など含めて8つあります。
ここでは割愛しますが、調べてみると面白いです。
さらにこの歴史上人物は何地獄かな?と考えると面白いです。テストには全く出ませんが!
作者である紫式部が地獄に落ち、それを救うために閻魔大王にコネのある小野篁の墓の近くに移転させ、紫式部の墓を小野篁の近くに移転させたそうです。

おわりに

歴史には面白い言い伝えがいっぱいあります。
この記事を読んで少しでも興味を持ってくれたらうれしいです!
まずは自分の好きな人物から、少しずつ歴史を勉強していきましょう!